医師に評価される薬剤師になるための“秘策”
日経メディカルオンラインより
今から10年ほど前。大学病院から薬局に活動の場を移して、しばらくたった頃に思ったこと。それは「薬剤師の社会的評価や認知度は不当に低い。しかし、その責任の一端は薬剤師自身にある」ということです。
薬学教育が6年制になったこととは関係なく、薬学という極めて高い専門性を有する国家資格者で、資格保有者数も医師とほぼ同じレベルしかいないレアな専門職であるのにもかかわらず、薬剤師が患者や世間から受ける社会的・金銭的評価は、医師と比較すると違い過ぎると思ってきました。
もちろん、そうなったのは日本の医療提供体制や国民皆保険制度が整備されるまでの経緯、高度成長期時代の急速な医療・医学の進歩といった歴史的・外的要因があったことも事実です。特に、医薬分業制度が根付いていく中で、そのビジネスモデルが構造的・経済的に医師に依存するような形にならざるを得なかった薬局や薬剤師の行動には、どうしても制限があり、一薬剤師ががんばってどうこうできるものではなかったことも大きいと思います。
実際、私がいろいろなところで講演をさせていただくようになった頃、その後の懇親会などで「国が強制分業にしてくれれば、状況は変わるかもしれないけどね」「法律で薬剤師にも処方権を認めてくれればいいのにね」というような話をよく耳にしました。日本医師会との関係とか、「調剤薬局」というビジネスモデルの構造的問題とか、おっしゃることはその通りであり、ごもっともだと思いました。
ただ、不思議と「自分たちはこうするべきなのに、していない」という内省的な話に行き当たらなかったのです。基本的には、外的な要因に恵まれていない結果、私たちは不遇を託っている、というような文脈である場合がほとんどであることに、多少、いらだちというか、違和感を覚えていました。
自分自身が医師として診療を続けながら、薬局を経営したり薬剤師の生涯学習に関わる中で、多くの薬剤師と接し、「あぁ、そこが問題だったのか!」という課題が私の中で浮き彫りになってきました。その代表的なものが、できない理由を上手に説明して、結局は自分が一歩も動かないということです。
いろいろな頼まれ事があったときに、できる事はもちろんしてくださるのですが、できない事、やっかいな事、やりたくない事を頼まれると、まずやってみるのではなく、やらずに済む方法を見つけ、その理由を上手に説明する傾向があるように思います。もちろん、こういったことは多少なりとも、ある意味では私も含めて、多くの人に見られる傾向だと思いますが、様々な医療職種の中で見ると、薬剤師は業務上の依頼を受けた時に、立て板に水のごとく、自分がやらない(できない)理由を説明することが多いのです。これだとチームが組めません。
そして、このやらない(できない)理由の多くが、自分の都合であることが少なくありません。「時間が掛かる」「手間が掛かり過ぎる」「採算が合わない」「やったことがない」など、その理由は様々ですが、詳しく聞いていくと「あぁ、結局、自分の都合なんだな……」と感じることが本当に多いのです。これが意識的なのか無意識的なのかは分かりませんが、個人の思惑がちらちらすると、興ざめしてしまうのです。
医師や看護師、患者やその家族が、薬剤師に何かを頼む時には、治療や療養上の観点から困っていることがあり、それをなんとかしてほしい、という文脈があるのですが、そのことを論じる前に話が終わってしまうことが多いように思います。
例えば、処方箋に書かれた薬剤の在庫がないので、同種同効薬や異なる規格・剤形に変更したいという疑義照会を受けることがあります。変更の理由について、「患者さんをお待たせしないために」「効果は同じなので」などと聞くと、それはもっともな事だと思いますし、患者さんのためにはそうするべきという文脈で話をされますので、何となく筋も通っています。しかし本当の理由は、分譲に行ったり、後で患者宅に届けたりするのが面倒だからなのでは……、という思いが拭えません。
このような関係性では、いざというときに何かを頼んだり、一緒にがんばったりする“仲間”にはなりません。というのも、医師のほとんどは、患者さんより自分の都合を優先することを嫌うものだからです。
もちろん、在庫の負担も分かります。分譲に行くのは手間ですし、急配は卸さんに迷惑を掛けるかも知れません。しかし、それらは、言うなれば全て薬局・薬剤師側の都合です。そして、自分は結果的に動かずに済まそうとしている――。そのことを見抜かれれば、やはりその評価は高くなりません。
では、どうすれば良いのでしょうか。
私が提案するのは、まずは一度、駆けずり回ってみて、意地でもその通りにやってみせることです。その上で、額に汗をかきながら、ゼイゼイ息を切らしながら、でも顔はにっこり微笑んで、「○○でしたが、対応できました」と医師に報告します。
そんな薬剤師を目の前にした医師はきっと、「ごめん!大変だったんだ!? 僕、どうしたらよかったの?」と聞くでしょう。そんなときには涼しい顔で「いえ、患者さんのためですから」と答えた上で、「もし、差し支えなければ…」と希望を伝えれば、その後の状況は随分違うと思います。
自分の都合を優先させず、デキない理由を雄弁に語らず、まずは自分が動いてみる――。薬剤師が変わるきっかけの1つは、こういうポジティブ・スタンドプレーなのかなと思います。
「自分の都合を優先」...
「デキない理由を雄弁に語る」...
「できない事、やっかいな事、やりたくない事を頼まれると、
やらずに済む方法を見つけ、その理由を上手に説明する傾向がある」...
耳が痛いね(苦笑)
上の記事は薬剤師だけど、
もちろん他職種にも当てはまる
上司、先輩、他職種、他部門等々...から
逃げ回ってばかりいたら、信用を落とすだけ
頼んでいる側は、理屈なんてどうだって良いのに、
あ~だ、こ~だと言い訳までされると、
余計に信用を失うよね
「あいつにお願いしても断られるだけ」と、
ハナっから相手にされなくなる
こんな事ではチーム医療なんか成り立たなくなるし、
院内の地位向上なんぞ望めやしない
何でも嫌がらずに素直に受け、
とりあえず"やってみる"という姿勢をみせること
結果が出せなかったり、不都合が生じた場合は、
報告、連絡、相談すれば良い
「患者さんのため」ですからと、自らを奮い立たせて、
ガムシャラに取り組んでみましょう!(笑)
(以下、All Aboutより引用)
「誰、あの人?」「そんな人、いたっけ?」から
「ああ、○○さんね」「何かがんばってる人みたいだね」となり、
いろいろと仕事がやりやすいくなる
誰もやりたがらない仕事は、
誰も真剣にやろうとしないので、
敢えて受けて、まじめにやるだけで
成果を出しやすい
これを「ポジティブ・スタンドプレー」という
院内での自分ブランドを高め、
いざというときに声がかかりやすくするという、
戦略的な行為でもある
皆さんも実践してみましょう(笑)
日経メディカルオンラインより
今から10年ほど前。大学病院から薬局に活動の場を移して、しばらくたった頃に思ったこと。それは「薬剤師の社会的評価や認知度は不当に低い。しかし、その責任の一端は薬剤師自身にある」ということです。
薬学教育が6年制になったこととは関係なく、薬学という極めて高い専門性を有する国家資格者で、資格保有者数も医師とほぼ同じレベルしかいないレアな専門職であるのにもかかわらず、薬剤師が患者や世間から受ける社会的・金銭的評価は、医師と比較すると違い過ぎると思ってきました。
もちろん、そうなったのは日本の医療提供体制や国民皆保険制度が整備されるまでの経緯、高度成長期時代の急速な医療・医学の進歩といった歴史的・外的要因があったことも事実です。特に、医薬分業制度が根付いていく中で、そのビジネスモデルが構造的・経済的に医師に依存するような形にならざるを得なかった薬局や薬剤師の行動には、どうしても制限があり、一薬剤師ががんばってどうこうできるものではなかったことも大きいと思います。
実際、私がいろいろなところで講演をさせていただくようになった頃、その後の懇親会などで「国が強制分業にしてくれれば、状況は変わるかもしれないけどね」「法律で薬剤師にも処方権を認めてくれればいいのにね」というような話をよく耳にしました。日本医師会との関係とか、「調剤薬局」というビジネスモデルの構造的問題とか、おっしゃることはその通りであり、ごもっともだと思いました。
ただ、不思議と「自分たちはこうするべきなのに、していない」という内省的な話に行き当たらなかったのです。基本的には、外的な要因に恵まれていない結果、私たちは不遇を託っている、というような文脈である場合がほとんどであることに、多少、いらだちというか、違和感を覚えていました。
自分自身が医師として診療を続けながら、薬局を経営したり薬剤師の生涯学習に関わる中で、多くの薬剤師と接し、「あぁ、そこが問題だったのか!」という課題が私の中で浮き彫りになってきました。その代表的なものが、できない理由を上手に説明して、結局は自分が一歩も動かないということです。
いろいろな頼まれ事があったときに、できる事はもちろんしてくださるのですが、できない事、やっかいな事、やりたくない事を頼まれると、まずやってみるのではなく、やらずに済む方法を見つけ、その理由を上手に説明する傾向があるように思います。もちろん、こういったことは多少なりとも、ある意味では私も含めて、多くの人に見られる傾向だと思いますが、様々な医療職種の中で見ると、薬剤師は業務上の依頼を受けた時に、立て板に水のごとく、自分がやらない(できない)理由を説明することが多いのです。これだとチームが組めません。
そして、このやらない(できない)理由の多くが、自分の都合であることが少なくありません。「時間が掛かる」「手間が掛かり過ぎる」「採算が合わない」「やったことがない」など、その理由は様々ですが、詳しく聞いていくと「あぁ、結局、自分の都合なんだな……」と感じることが本当に多いのです。これが意識的なのか無意識的なのかは分かりませんが、個人の思惑がちらちらすると、興ざめしてしまうのです。
医師や看護師、患者やその家族が、薬剤師に何かを頼む時には、治療や療養上の観点から困っていることがあり、それをなんとかしてほしい、という文脈があるのですが、そのことを論じる前に話が終わってしまうことが多いように思います。
例えば、処方箋に書かれた薬剤の在庫がないので、同種同効薬や異なる規格・剤形に変更したいという疑義照会を受けることがあります。変更の理由について、「患者さんをお待たせしないために」「効果は同じなので」などと聞くと、それはもっともな事だと思いますし、患者さんのためにはそうするべきという文脈で話をされますので、何となく筋も通っています。しかし本当の理由は、分譲に行ったり、後で患者宅に届けたりするのが面倒だからなのでは……、という思いが拭えません。
このような関係性では、いざというときに何かを頼んだり、一緒にがんばったりする“仲間”にはなりません。というのも、医師のほとんどは、患者さんより自分の都合を優先することを嫌うものだからです。
もちろん、在庫の負担も分かります。分譲に行くのは手間ですし、急配は卸さんに迷惑を掛けるかも知れません。しかし、それらは、言うなれば全て薬局・薬剤師側の都合です。そして、自分は結果的に動かずに済まそうとしている――。そのことを見抜かれれば、やはりその評価は高くなりません。
では、どうすれば良いのでしょうか。
私が提案するのは、まずは一度、駆けずり回ってみて、意地でもその通りにやってみせることです。その上で、額に汗をかきながら、ゼイゼイ息を切らしながら、でも顔はにっこり微笑んで、「○○でしたが、対応できました」と医師に報告します。
そんな薬剤師を目の前にした医師はきっと、「ごめん!大変だったんだ!? 僕、どうしたらよかったの?」と聞くでしょう。そんなときには涼しい顔で「いえ、患者さんのためですから」と答えた上で、「もし、差し支えなければ…」と希望を伝えれば、その後の状況は随分違うと思います。
自分の都合を優先させず、デキない理由を雄弁に語らず、まずは自分が動いてみる――。薬剤師が変わるきっかけの1つは、こういうポジティブ・スタンドプレーなのかなと思います。
「自分の都合を優先」...
「デキない理由を雄弁に語る」...
「できない事、やっかいな事、やりたくない事を頼まれると、
やらずに済む方法を見つけ、その理由を上手に説明する傾向がある」...
耳が痛いね(苦笑)
上の記事は薬剤師だけど、
もちろん他職種にも当てはまる
上司、先輩、他職種、他部門等々...から
逃げ回ってばかりいたら、信用を落とすだけ
頼んでいる側は、理屈なんてどうだって良いのに、
あ~だ、こ~だと言い訳までされると、
余計に信用を失うよね
「あいつにお願いしても断られるだけ」と、
ハナっから相手にされなくなる
こんな事ではチーム医療なんか成り立たなくなるし、
院内の地位向上なんぞ望めやしない
何でも嫌がらずに素直に受け、
とりあえず"やってみる"という姿勢をみせること
結果が出せなかったり、不都合が生じた場合は、
報告、連絡、相談すれば良い
「患者さんのため」ですからと、自らを奮い立たせて、
ガムシャラに取り組んでみましょう!(笑)
(以下、All Aboutより引用)
「誰、あの人?」「そんな人、いたっけ?」から
「ああ、○○さんね」「何かがんばってる人みたいだね」となり、
いろいろと仕事がやりやすいくなる
誰もやりたがらない仕事は、
誰も真剣にやろうとしないので、
敢えて受けて、まじめにやるだけで
成果を出しやすい
これを「ポジティブ・スタンドプレー」という
院内での自分ブランドを高め、
いざというときに声がかかりやすくするという、
戦略的な行為でもある
皆さんも実践してみましょう(笑)
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